低空飛行

あるかもしれないし、ないかもしれない

とある面接官に拾われた話

夕方に某企業の面接を控えていたその日の午前零時半過ぎ、寝る前に持ち物を確認しようと思い立ってメールを開いた瞬間、感情を失った。

 

*持ち物

  • 履歴書
  • 成績証明書
  • 卒業見込証明書
  • 外国語能力証明の写し

 

わたしは泣きながら履歴書を書いた。書くことに精一杯で、コピーを取ることも忘れた。間違えませんように間違えませんように間違えませんように間違えませんように間違えませんように間違えませんように… そう念じながら、ボールペンを持つ手を震わせながら履歴書を書き終わったのは、午前2時前だった。成績証明書と卒業見込証明書はなんとか予備の分があり、外国語能力証明もどうにか見つけ出すことが出来た。

 

午前11時前、乃木坂駅で電車を降りた。友人と国立新美術館ミュシャ展へ行く約束をしていた。

今回の展覧会の中心は言うまでもなく「スラヴ叙事詩」、ミュシャが18年にも及ぶ月日をかけて描いた20枚の巨大絵画の連作である。

 

わたしはこの「スラヴ叙事詩」を見たことで、絵から何かしらの活力を獲得したらしい。人間の生命力と闘争心、勝利、自由の獲得、そして喜び。人間は、様々な可能性を持っている。わたしも同じ人間で、その例外ではない。わたしは生きている。それ以上に素晴らしいことがこの世にあろうか。生きているだけで、価値がある。たとえ就職できなくても、大学を卒業できなくても、生きてさえいれば何とかなる。その瞬間、わたしは心から本気でそう思った。

 

展覧会を後にし、サブウェイに向かって友人と歩いた。途中、上下共にピンク色のスーツを来ているビジネスマンを見かけ、六本木とはなんと恐ろしい町なんだろうと改めて思った。サブウェイには土地柄だろうか、外国人が多かった。レジで研修中と札を付けていた店員も、中国人だった。彼女の日本語は完璧ではなかったが、それでも彼女は堂々と日本語を話していた。わたしは、ネイティブと外国語で、あんなふうに会話ができるだろうか。外国語で会話をしている時は常にどこかしらで劣等感を抱え、恥ずかしさを打ち消すことができずにいる自分を思い出した。ネイティブでないのだから、完璧に話せる必要などどこにもないのに。

 

その後六本木駅で、オーストラリアから来たという観光客2人に話し掛けられた。

「六本木で面白い場所教えて下さい。」

「うーん…六本木ヒルズかミッドタウンかな…」

「そこは渋谷みたいに面白いとこなの?」

「いや、お金持ちの人がたくさんいるとこだよ。」

「それはあんまり面白くないなあ…」

 

友人と別れて面接会場に向かう電車内で、わたしは完全に悟りを開いていた。生きてさえいれば、何とかなる。企業研究もしていないし、自己PRの文章も考えていないけれど、何とかなる。何とかならなくても、何とかなる。素直に、その場で思い考えたことを、そのまま言おう。そう決めた。

 

わたしはその日の面接以前に4社の二次面接を立て続けに受け、そして全滅していた。健気な就活生を演出すべく必要以上に緊張している振りなどをしてみたが、全て無駄だった。何故なら企業研究すらろくにしていなかったからである。逆質問で何を聞けばいいのか、いつも悩む。ホームぺージを読んでも、会社のパンフレットを読んでも、わからないことがわからない。そしてその反省を生かすことなく、再び同じように面接に臨もうとしている。勝算の無さと異様な精神状態の前に、緊張などあるはずもなかった。

 

面接の前に自分の提出したエントリーシートを一応読み返してはいたものの、面接官に促されて席についた時にはもはやほとんど思い出すことは出来なかった。「学生さんは皆さん考えていらっしゃってると思うので、まずはじめに自己PRをどうぞ。」そんなものは考えていない。1分バージョン、3分バージョン、5分バージョンを考えていきましょうという文字は見たが、考えていない。自分の性格と長所を雑に羅列しただけの、30秒にも満たないPRをした。「終わりですか?」「はい。」「では、先ほどの自己PRに沿った具体的なエピソードを教えていただけますか?」わたしは白旗をあげた。「それは、エントリーシートに書いた内容をそのまま言った方が良いのでしょうか?」

 

面接官は一瞬驚いたような表情をしたがすぐに愛想笑いの顔になるよう筋肉の配置を元に戻し、「書いていない内容でもどちらでも構いませんよ。」と言った。わたしは書いたか書いていないかすらわからない、その場で思いついたエピソードを口から出任せで話した。不思議なことに、話に詰まることは無かった。内容に関して面接官からひとつ質問を受けたものの、独自の謎理論を展開して迎撃した。終始妙に落ち着いて受け答えをしていたのか、「なんだかまるで全てを悟っているかのようですけれど、緊張していらっしゃいますか…?」と面接官は言った。「そうですね、それなりには。」わたしは答えた。

 

その後、志望度について質問された。第一志望です、と言わなければいけないことはわかっていたが、それでも、どうしても、なぜか、第一志望ですと答えることが出来なかった。こんなことは初めてで、自分でもどうすればいいのかわからなかった。

「志望度は、高いです。」そう蚊の鳴くような声で言ったわたしから、面接官は何かを感じ取ったのかもしれない。続けざまに「他にはどのような業界や企業の選考を受けていますか」と聞かれた。「好奇心が強いもので、いろいろ説明会に参加してはいるのですが、中々業界も絞りきれずにいます。」わたしは正直に胸中を吐露してしまった。以前の面接で、同じような質問に同じように答えてしまった際に面接官から説教をされたので、今回もまた就職活動に対する意識の甘さを指摘され呆れられるのだろうなと、諦めの気持ちでいっぱいになった。

 

「そうですよね。入ってみなければ結局その会社がどんなところかなんて分からないですし、こんな短期間で一社決めるなんてそもそも無理な話ですから。今の段階で弊社が必ずしも第一志望である必要は無いですし、たくさんの会社を見て回って、それから決めればいいと思いますよ。」

 

わたしはすっかり拍子抜けしてしまった。よくわからないけれど、目に涙が滲んだ。その後も面接は20分ほど続いたが、雰囲気が変わることもなくそのまま終わった。きっとあんなに優しいことを言っていても落とすのだろうなあ、と思ったが、不思議と心は軽かった。

 次の日、正午前に起床してテレビを見ながら朝食なのか昼食なのか判断し兼ねる食事をとっていると、スマートフォンが振動した。前日に面接を受けた企業からの最終面接の案内だった。その日も夕方から他社の二次面接を受けに行ったのだが、史上最悪の圧迫面接だった。落ちたな、という手応えしかなかった。

 

わたしは考えた。もう二度と最終面接まで辿りつけないかもしれない。自分の精神もだいぶ限界に近い。きちんと企業のことを勉強して、面接対策もして、最終面接を受けよう。それで落ちたらもう仕方がない。一旦小休止して、もう一度はじめから就職活動をやり直そう。業界や業種に拘らず、一人で他人様に迷惑をかけずに生きていけるだけの収入を得ることが出来れば、それで十分だろう。そこがきっと、自分にとってのちょうど良い場所なんだ。そう思った。それから一週間、わたしは珍しく、というかここでやっと初めて、企業・業界研究に精を出した。その間にも他社の面接があったが、ほとんど脇目も振らなかった。

 

最終面接では、何度も練り直して完璧に暗記した志望動機も、徹夜で勉強した製品についても、何も聞かれなかった。その企業でなければならない理由は、曖昧にしか答えられなかった。ただ掲示板の書き込みにあったほど、重苦しい雰囲気ではなかった。

 

面接が終わって、山手線に乗って、そのまま二周ほどした。周囲に座っているビジネスマン風の大人たちのように、自分はきっとなれないのだろうなと思った。目の前で何気なく過ぎていく日常が突然映画のように感じられて、自分は一人だけそこに干渉できない、透明人間になってしまった気がした。社会の一員として、労働し、税金を納めない限り、生きていくことは許されない。働いていないのにご飯を食べるなんて、烏滸がましい。数日前に見た匿名掲示板にあった、そんな書き込みを思い出す。エアコンで適温に保たれているはずの車内で、異様に喉が渇いた。世の中にはどうにもならないことだってある。もしかしたら、わたしの就職活動は永遠に終わらないかもしれない。今まで多額の教育費を投資して貰ったのに、こんな出来損ないの社会不適合者になってしまって、申し訳無い気持ちでいっぱいになった。どうやったら他の人に迷惑をかけずに死ねるかなと考えて、死ぬことは他の何よりも他人に迷惑しかかけないという結論に至って、絶望した。

このまま電車に乗っていても埒が明かないので、山手線を降りて別の路線に乗り換える。そのまま家の近くのターミナル駅で改札を出て、ゲームセンターとブックオフを一周して、もう一度電車に乗って、家に帰った。リクルートスーツを脱いで、顔を洗って、歯を磨いて、パジャマに着替えて布団に潜り込んだ。布団に包まれながらわたしは目を瞑って、必死に眠りの世界に閉じこもった。

 

目を開くと、部屋は真っ暗だった。別の部屋に置いた鞄に入れっぱなしだったスマートフォンを見ると、不在着信があった。すぐに折り返し電話をした。

「本日は最終面接にお越しいただき、ありがとうございました。面接の結果、飯田さんには是非弊社に入社して頂きたく、ご連絡を差し上げました。」

「はい、あの、ありがとうございます。」 

「他社の選考をまだお受けになるようでしたら、猶予期間を設けることも可能ですが、いかがですか?」

 

わたしは、その場で「入社します。」と即答できなかった。

 

「わかりました。そうしましたら、猶予期間については後日またご連絡差し上げます。もし迷われているようでしたら、いつでもご連絡下さいね。」

 

電話が切れた。

残っている選考は、あと一社だけだった。なんとなく一応その一社を第一志望だと自分に思い込ませて就職活動をしていたために、ここで終わりにしてしまって良いのだろうかという気持ちを抑えることができなかった。

その夜、母親に初めて自分の就職活動について話した。なぜそこで入社しますと言わなかったのか、私には理解できません、と言われた。

 

もし両社から内々定を貰えたら、わたしはどちらを選択するだろう。 わたしにとってちょうど良い場所は、どこなのだろうか。

 

三日後の夕方、内々定を頂いた企業に入社したいという旨を電話で伝えた。

 

就職活動が終わった。

六月一日のことだった。