低空飛行

あるかもしれないし、ないかもしれない

片思いは非現実の夢

 2017年1月から放送されていた『カルテット』というドラマがある。その第8話は、物語の中心であるカルテット・ドーナッツホールのメンバー4人のうちのひとりである、世吹すずめ(満島ひかり)の「片思い」を凝縮した回である。

このドラマは「大人の恋」がテーマで、4人はそれぞれが片思いをしている。巻真紀(松たか子)は失踪した夫に、別府司(松田龍平)は巻真紀に、世吹すずめは別府司に、そして家森諭高(高橋一生)は世吹すずめに片思いをしている。真紀が夫を好きなこと、そして別府が真紀を好きなことはカルテットのメンバー全員が知っているのに対して、すずめが別府を好きなことはすずめ本人と家森しか知らないし、家森がすずめを好きなことは家森本人以外誰も知らない。さらに別府は、すずめは家森が好きだと思っている。

カルテットのメンバーは、音楽エリート一家に育った別府の実家が所有する軽井沢の別荘で生活をしている。定職についているのは別府のみで、家森と真紀は不定期でアルバイトをしており、すずめは日がな一日家で気ままに過ごしている。またカルテットとしての仕事はライブレストラン・ノクターンでの演奏がほとんどで、それ以外の活動はほとんどしておらず、その状況を別府の実家は良く思っていない。別府は実家から、別荘を売りに出すという話を聞かされていたが、そのことをカルテットのメンバーに言い出せずにいた。

 

第8話の冒頭、4人はワカサギ釣りをしている。初めは絶好調だった4人だが、魚類を馬鹿にする発言をした直後から、めっきりワカサギが釣れなくなる。すっかり暇を持て余し、すずめが「何か楽しい話でもしましょうよ」と切り出した。すると、真紀が前日の夜に見た夢の話を始める。別府とすずめは「へえ」と答え、立て続けに別府が夢の話を始め、それに真紀と別府が「へえ」と答える。

「ちょっとちょっとちょっと君たち、一体何の話をしているのですか。夢の話じゃないでしょうね。人の夢の話聞いても〈へえ〉としか答えられないでしょう。〈へえ〉からは何も生まれませんよ。〈へえ〉を生まないで。」

 

次の日の午前、すずめは、初めて軽井沢に来た日の夢を見ていた。

別荘には別府とすずめの二人きりで、別府は昼食にナポリタンを作っていた。その日すずめは真っ白なブラウスを着ていて、別府は「ナポリタン、危険です。白い、きれいなお洋服だから。」と、自分が着ていたエプロンをすずめに着せる。

食事のあと、別府が洗濯物を干している横で、すずめは三角パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。

「世吹さん、前もそのコーヒー牛乳飲んでましたよね。好きなんですか?」

「ああ、はい。好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。」

布団の中ですずめはその夢を見ながら、少し照れたような顔をして幸せそうに笑っている。

 

すずめが寝惚けながらリビングに降りていくと、別府は夢の中と同じエプロンをして、夢の中と同じ麺の湯切りを持っている。「すずめちゃん、お昼ごはん食べますよね?」と、別府はナポリタンではなくお蕎麦を出した。すずめは少しがっかりしながら、そのお蕎麦を食べ始める。

「サボテンって水あげなきゃいけないんですか?」

「サボテンこそ、お水あげなきゃですよ。」

  リビングにあるサボテンを育てているのはすずめで、他の3人はいまのところ関心を持っていない。

 

「もうずいぶん一緒にいるような気がしますけど、すずめちゃんが初めて来て、ナポリタン食べたのって、ついこの間なんですよね。」

「別府さん、覚えてるんですか?ナポリタン食べたの。」

「そりゃ覚えてますよ。」

「じゃあ、あれも?」 

 

第3話ですずめは、別府の布団に潜り込んだことがある。「大人の恋」の必勝法、”猫になって相手を落とす方法”として、ペットボトル一本分の距離を保って相手からキスさせる、と教えられたのを思い切って実行したのだ。すずめは家森が好きだと思っている別府がすずめにキスをすることはなく、動揺しながら「どうしたんですか?」と尋ねた。すずめは咄嗟に「Wi-fiが繋がらなくて…」と嘘をついたが、別府はその後すずめと目を合わせることなく、部屋を出て行ってしまう。しかしその回の最後、すずめは別荘の玄関先で衝動的に別府にキスをして、「Wi-fi、繋がりました。」と言った。家森はそのようすを遠くから見つめていた。

「あれ…?…覚えてます。覚えてるんですけど、どういうふうに理解したらよかったのかなって…Wi-fiって…」

「ロックンロールナッツ、食べましたよね。」

「あっ…アイス。あ、コンビニ行きましたね。」

「行きましたよねえ。」

 

気まずい空気の流れる中、2階から「別府くん。2階のトイレ、便座が暖かくならないの。」と家森が階下へやってきた。別府はそこから逃げ出すように2階へ向かい、家森は別府の座っていた席で別府の食べていたお蕎麦を食べ始めた。

「家森さん、バイト見つかりました?」

「すずめちゃんって、前に別府くんとキスしてたよね?」

「何で話逸らすんですか?」

「別府くんってでも真紀さんのこと好きだよね。真紀さんお離婚しちゃったし、ピンチじゃない?」

「一緒にバイト探しましょうよ。」

「五文字しりとりする?か・た・お・も・い。」

「いいんです。」

「あ、いいんだ。」

「す、ですよ。す。」

 

そこへ丁度外出中の真紀が帰ってきて、頼まれていた単三電池とコーヒー牛乳をすずめに渡した。すずめは、逃げるように階段を駆け上がって2階の自室へ向かった。

 

その日の夜、日中別荘に来た弟から自分の大好きなカルテットのメンバーたちを否定され、別府はなんとなく元気がない。すずめはその際のやり取りを聞いてしまい、自分たちの存在が別府の迷惑になっていると気づく。元気がない別府を、真紀は心配しているが、すずめはそれに気づかないふりをして、真紀に何気なく別府に聞いてみることを勧めた。

2階に上がると、アイスを食べながら別府と真紀が楽しそうに談笑している。すずめはそんな二人に気を遣って先に自室に戻り、箪笥から宅建の合格証を取り出すと、別府と真紀の笑い声を聞きながらそれを眺めている。

 

翌朝、すずめは珍しく「バイトの面接に行って来ます」と朝早くリビングに降りてくる。スーツを着て髪を束ねているすずめはまるで別人のようで、他の3人は驚いている。

 

無事不動産屋でのバイトが決まると、すずめは得意気に、エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴ」をBGMにくるくる回りながら、帰路についた。 途中でスーパーマーケットに寄って良い匂いの柔軟剤を買い、別荘に帰るとすぐさま別府のパジャマを洗濯した。真紀は匂いに敏感で、すれ違いざまに別府の着ているパジャマの匂いをかいでうっとりしている。そんな様子を見ながら、すずめは満足げにチェロを触っている。

真紀が雑誌を見て「おいしそう」と言えば別府にそれを帰りに買って来てくださいとLINEを送り、別府の引いたおみくじが凶なら自分の引いた大吉のくじとすり替える。

食器を洗いながら手が触れてしまって照れあう別府と真紀のことを、すずめはリビングの片隅で、大好きなコーヒー牛乳を飲みながら、蕾のついたサボテンの世話をしながら眺めている。

 

 ある日、すずめはバイト先の不動産屋の社長からコンサートのチケットを2枚貰う。

「これ、私の好きな人にあげてもいいですか?」

「もちろん一緒に行っておいで。」

すずめは首を横に振った。

「私の好きな人と、好きな人に行ってもらってもいいですか?」 

 

 「私の好きな人には、好きな人がいて、その好きな人も私は好きな人で、上手くいくといいなあって。」

「うん?君の好きはどこに行くの?」

「ああ。」

「置き場所に困らないのかね?」

「私の好きは、その辺にごろごろしてるっていうか。」

「そのへんにごろごろ、って。」

「寝っ転がってて、で、ちょっと、ちょっとだけ頑張るときってあるでしょ?住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか、エスカレーターの下りに乗るときとか、バスを乗り間違えないようにするときとか。」

「ああ、あの、卵のパックをかごにいれるときとか。」

「そう。白い服着て、ナポリタン食べるとき。そういうね、そういうときにね、その人がいつも、ちょっと、いるの。いて、エプロンかけてくれるの。そうしたら、ちょっと頑張れる。そういう、好きだってことを忘れるくらいの、好き。」

「ははは。」

「変かな?」

「眩しいね。」

 

次の日すずめは朝食を食べながら、職場に同い年で素敵な人がいて、その人と鉄板焼きを食べに行くことになったとメンバーに話した。ピアノを聞くと気持ちよくなって眠ってしまうから、別府と真紀でコンサートに行って来て、とチケットを渡す。家森はすずめの思惑を知ってか知らずか、自分がコンサートに行くと言ったが、すずめは強引に2人にチケットを渡した。

 

そんな様子を見兼ねてすずめは家森を自室に呼び、自分たちが別府の負担になっていること、独立しようと考えていることを打明けた。

「へえ」

「私、夢の話してませんけど。」

「夢の話でしょ。片思いって一人で見る夢でしょ。すずめちゃんがここを出たいのはさ、真紀さんを見てる別府くんを見てるのがつらいからじゃないの?両思いは現実、片思いは非現実、そこには深い川が」

「…協力してください。2人が上手くいくように。」

「へえ…」

 

育てていたサボテンに花が咲いたのを、別府と真紀が物珍しそうに見ている。すずめは2人には声をかけず、そのままバイト先に向かった。

 

別府と真紀がちょうどコンサートに行っている頃、コンサートの演目だったリストの曲を聞きながら、すずめは一人でする必要の無い残業をしていた。フランツ・リスト『慰め』 第3番。すずめはいつの間にか眠りに落ちてしまい、別府との出会い、そして今夜真紀ではなく自分が別府と一緒にコンサートに行っている非現実の夢を見ている。夢の中ですずめは、上下まっ白の洋服を着ていて、エスカレーターの下りに乗るとき、別府はすずめの手を引いてくれる。コンサート会場に着いて、腕を組んでくれる。コンサートの後は感想を言い合いながら夕飯を食べて、帰りにはいつものコンビニで2人でアイスを食べる。

 

夢を見ながらすずめは涙を流していた。

 

人気のないまちを夢うつつのまま、すずめは急いで走っていく。コンサート会場につくと、ちょうど別府が出てきた。すずめは別府の姿を見て、思わず声をかけてしまいそうになるが、そこへ真紀が出てくる。真紀にコートを着せる別府、真紀と二人で写真を撮る別府。そんな2人の様子を見て、自分の片思いが非現実であるという現実を突き付けられて、すずめは再び涙を流す。

 

すずめにとって別府は、毎日毎日飲んでいる大好きなコーヒー牛乳のような存在である。別府がそばにいてくれるから、だから頑張れる。しかし別府は相変わらず真紀が好きで、それに対してベッドに潜り込んでも、ペットボトル1本分の距離まで近づいてもキスをしてもらえなかった自分。自分を家族という呪縛から解放してくれた真紀と、真紀を騙していた自分。すずめにとって、真紀は自分より大事な存在で、自分自身よりも真紀が好きで、そんな大好きな2人が幸せになって欲しくて、すずめは頑張っている。すずめのそばには、別府がいるから。たとえ別府がすずめのことを見ていなくても、そばにいてくれるだけで頑張れる。すずめは、自分が幸せになることではなく、別府のそばで頑張って、大好きな2人の幸せのキューピッドになることを選んだのだ。

 

ただ夢の中でだけは、別府は真紀ではなくすずめだけを見てくれる。手を差し伸べてくれる。別府がそばにいてくれるから、すずめはまっ白な洋服を汚す心配もなく着れるし、エスカレーターの下りにも乗れる。

しかしその夢はただの非現実にすぎない。現実と非現実は決して交わることのない別々の世界で、非現実が現実になることは決してない。すずめの夢は、すずめ以外の人にとって「へえ」でしかなく、それは別府にとっても例外ではない。別府にとってすずめの片思いは非現実で、その非現実の夢からは「へえ」以外の何物も生まれない。「へえ」を生まないためにも、すずめは別府への思いを永遠に心に秘めておくしかない。

 

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就職活動はしばしば恋愛に例えられる。学生は企業に対して、自分の思い描く将来を語る。その企業で働いている自分、企業に貢献している自分、何かを成し遂げている自分、エトセトラ。しかし多くの場合、それは企業側にとって「へえ」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。そしてその将来が現実になる可能性を持っているか、非現実にしかなり得ないのか、それは「なんとなく」判断されているにすぎない。

 

「飯田さんにとって、就職活動の軸は何ですか?」

 

これは、わたしが就職活動中に最も嫌悪感を抱いた質問である。実際のところ就職活動の軸なんてそんなものは何も無かったが、この質問はどんな企業の面接でも頻繁に繰り出されるため、この質問に対して相手を納得させられる回答を用意して行かないことは即ち死を意味する。

 

某電力会社の面接に向けて回答のシミュレーションをしている時に、わたしはついに困り果ててGoogle先生に質問した。

 

「先生、就職活動の軸とは何ですか?模範回答はどのようなものですか?」

「まりあさん、それはね…」

 

その模範回答を読んで、わたしは愕然とした。

 

発展途上国発電所を作って、電気を届けたい!」

 

実はその電力会社の面接に臨む前、わたしはリクルーター面談の機会を二度頂いていた。そこでお話を伺った社員の方もこう仰っていたのだ。

 

発展途上国発電所を作りたいと思って就職活動をしていました。」

 

正気か…?と思った。これが夢物語以外の何だって言うんだろう… みるみる気持ちが萎えて行くのがわかった。恐ろしいことに、HPやパンフレットに掲載されている他の先輩社員や、あまつさえ面接の控え室で会う他の就活生ですら、口々に全く同じようなことを言うのである。とんでもないところに来てしまった、そう思った。そんな話を聞いても「へえ〜そうなんですね〜!なるほど!」としか言えなかったし、それはわたしにとって別世界の非現実でしかなかった。

 

”先輩社員様方のやんごとなく有り難いお話を聞いて、〈へえ〉以外の感想が生まれるかどうか”

それがわたしの本音の部分での就職活動の軸である。では建前の部分ではどう答えていたか。

「社風や会社内の雰囲気です。」

 

こう答えると、数回に一回は「説明会や座談会、OB訪問、そして選考の過程で会える社員の数は限られていると思いますが、その点だけで社風や雰囲気を本当に理解できるのですか?」と馬鹿な質問をされる。

考えてもみて欲しい。説明会や座談会とは、企業と学生との、数少ない大事な接点である。果たしてそこに出来の悪い社員、あるいは会社に馴染めていない社員を連れてくるだろうか。これから先何十年と共に働くことになるかもしれない就活生を、社内で浮いている異端社員に篩にかけさせるだろうか。

 

 選り抜きの先輩社員数人の話を聞いて「へえ」としか思わなかったのなら、それはもうどうしようもなく、その企業には合わなかったということに他ならないとわたしは思う。「へえ」からは何も生まれない。就活生は「へえ」しか生まない非現実という泥沼から早々に足を洗って、次の現実に向き合って行かなければならない。