低空飛行

あるかもしれないし、ないかもしれない

神さま仏さま

就職活動も本格化する最中、わたしは今日とある企業の二次面接に臨んだ。面接の雰囲気は少し張り詰めていて、それまで穏やかな面接しか受けたことがなかったために、多少ではあるが狼狽えていた。
そして最後の逆質問で、以前人事の方から聞いた某国でのM&Aについて尋ねた瞬間、面接の場は絶対零度にも匹敵するレベルで凍った。

「その話、どこで聞きました?」

面接官は、強ばった顔で、必死に何かを押し殺しているかのような表情で言った。
これは絶対に、何かがおかしいな、と思いながらも「前回、人事の方にお会いした時に伺いました」と、わたしは正直に答えた。

「その話、無くなったんですよ」

ああ、終わったな、と思った。

面接官に対して合計5回くらいお辞儀をして面接会場から出ると、すかさず人事担当の社員の方が近寄ってきて、「どうでしたか?」と聞く。「鋭い質問もあって…あはは」と、いつものように適当に答えた。無論鋭い質問など無いし、上手く答えられなかったのは自分の甘さと責任であるし、最後の逆質問はどこに埋め込まれているかわからない、文字通りの地雷だった。もう二度とここへ来ることはないだろうが、特に虚しいという感情も悔しいという感情も何も芽生えなかった。

面接のついでに、せっかく出かけたからこのまま帰るのも勿体ないと思って、有楽町の某家電量販店へ腕時計の電池交換をして貰いに行った。腕時計自体は何の変哲もない普通の時計だけれど、少しだけ思い入れのある時計だった。

時計の修理コーナーに行くと、交換用のベルトがたくさん並んでいた。せっかくの機会なので、ベルトも新しいものに替えることにした。
時計のベルトには、幅の種類がたくさんある。お店の人に測ってもらったところ、私の持っている時計のベルトは18ミリだったので、売り場にあるものの中から適当に一つ見繕って修理受付カウンターに持っていった。
30分から40分ほど掛かりますと言われ、引換証を受け取って、その場を離れた。

就職活動中に一番苦痛だと感じるのは、間違いなく手持ち無沙汰で暇な時だと思う。することが無いと、なんとなくスマートフォンを見てしまう。なんとなくメーラーを開き、更新し、みんしゅうのマイページに飛び、新しい書き込みが無いかチェックし、そしてまたメーラーに戻る。
いつ来るともしれない、果たして送られてくるかどうかもわからないメールを、ぼんやりとした意識の中で、つい数十分前に受けた面接を反芻しながら、ただひたすらに待ち続ける。

そうこうしているうちに35分が過ぎ、そろそろ頃合かと思って時計修理カウンターに戻った。磁気帯びに気をつけてくださいね、という言葉と共に、ベルトを交換してすっかり綺麗になった腕時計を受け取り、古いベルトは破棄してもらうようお願いをして、お店を後にした。
蛍光灯の青白い光に溢れている家電量販店の中にあって、オレンジの電球色で包まれている時計修理カウンターは異界のような場所で、少し気が紛れた。来てよかったなと思った。

その後電車に乗って、乗り換えをする駅で階段を上っている時に、ふとお寺に行こうと思い立った。違う電車に乗り継ぎ、改札を出てから、思っていたよりも人気のない、シャッターの多くが閉まったままの寂しい参詣道を歩いていく。お寺の入口近くには喫煙所があって、この地域の民度の低さを無意識に演出していた。

本堂の前のお賽銭箱に五円玉を投げ入れて、本命三社の面接が上手くいくよう(いっているよう)お願いをする。きっと藁にもすがるというのは、こういうことを言うのだろう。わたしは特別に信心深い訳では決してない。それでも神社の神様と、お寺の仏様の両方に頭を垂れて、両手を合わせて、目を瞑って、お願いごとをする程度には、追い詰められている。時間とわたしのやる気が許すなら、日本中で祀られている全ての神様、仏教の全宗派、でお願いをしたいとも思っている。しかしそれは、少なくとも現時点では、一願望に過ぎない。

お賽銭からの流れで、おみくじも引いた。結果は吉で、内容もまずまずだった。
おみくじに、「信心深ければ、(中略)吉なれば更に幸を加護せらるべし」と書いてあったから、今日ばかりはお寺にお金を落として帰ろうと心に誓い、最後に献香をしようとしていたところで、わたしは一人の女性に声を掛けられた。
彼女は、わたしがなぜ寺にいるのか、なぜ寺に来るに至ったか、現在私の置かれている(個人情報や就活についての)状況など、初対面の人に尋ねるのは明らかに失礼だろうという事柄まで、「なんで?」と尋ねてくる。普段であれば、当たり障りのない受け答えをして、きっとその場を立ち去ったに違いない。
だが、わたしはその時、すっかり仏様の気に当てられて正常な判断力を失っており、これは仏様のお導きなのでは、とまで考えていた。そんなわたしが、その老女の問い掛けを軽くあしらうはずがなかった。

彼女は次第に、何故そんなに自信が無いのか、良い育て方をされたと両親に感謝しないのか、と、わたしにとって何よりも触れられたくない部分に侵食してきた。わたしは、自分自身について、特に家庭環境について追及されると、ものの数十秒で泣く自信がある。
そんな涙目で泣くことを堪えているわたしの姿は、老婆の好奇心を益々刺激してしまったらしい。彼女は、何か奢るから座って話しましょう、とわたしを喫茶店に連れていった。その時には既に完全に主導権を握られており、わたしには拒否する術も、心の余裕も無かった。

席に着くなり、老婆はわたしの家庭環境について、お決まりの「なんで?」を織り交ぜて、根掘り葉掘り尋ねてきた。わたしは、あっという間に泣き始めた。店員さんが心配そうに様子を窺っている中で、老婆は口撃を止めなかった。
はじめは律儀に質問に答えていたわたしも、ここでようやく自分の置かれている立場を冷静に分析できるようになってきた。見ず知らずの人に、十年以上付き合っている友人さえも立ち入らない領域に、なぜ易々と侵入を許しているのか。何を馬鹿正直に、丁寧に質問に答えているのか。わたしはここで、ようやく口を噤んだ。

わたしが何も話さなくなったことで、老婆は次第に自分自身のことを話し始めた。
結論を言うと、彼女は、彼女自身を幸せであると信じて疑わず、また自分にとっての幸せ以外の幸せの形が存在することを理解出来ない人間だった。相手の事情を察するという基本的な考えを持ち合わせておらず、また納得の出来ないことに対しては、常に「なんで?」と問い掛け、瑣末な感情まで全てのことに(自分の納得出来る)理由を求める、非常に面倒な性格だと言えると思う。
わたしは、自分の状況について幸せだとも幸せでないとも感じていないし、またその状況をどうにか改善しようとも思っていない。話を聞いて欲しいともお願いしていない。それにもかかわらず、わたしの状況を勝手に「異常」呼ばわりして騒ぎ立て、浅はかな同情と好奇心で、平気で個人の領域に踏み込んでくる。このような信じられないほど下品な人に、わたしはこれまで片手で数えられる程しか出会ったことがない。本当に信じ難く、腹立たしくて仕方がなかった。

話が少し逸れるが、わたしは自己・他己分析を通して、自分自身を「少しマイペースな人間」であると認識していた。わからないことに対しては「なんで?」とよく問い掛けるし、それが解決するまで調べ物をすることもある。人と違うやり方を模索することも多い。壁にぶつかれば納得のいくまで考えるし、そこで自分なりに決めたことはきちんと達成できるように、出来る範囲ではあるが最善を尽くす。
以前落とされた面接で一度、「具体的にどのようにマイペースなのか、教えて下さい」と聞かれたことを思い出した。わたしはその時、こう答えた。
「友達が言った些細なことに対して〈なんで?〉と聞いてしまいます。」

今日のこの不毛な老婆との会話を通して、その面接で何故落とされたのか、ようやくわかった。そして、わたしはきっと、いや決して、マイペースな人間ではない。マイペースという日本語を履き違えていたし、恐らく自分自身を見誤っていたと思う。

この後わたしはこの老婆の愚痴を、二時間以上にわたって聞き続けることになった。念のため言っておくと、わたしは、就職活動中の、未だに内々定を持っていない、大学生である。明日も面接を控えており、午後には少しの昼寝と企業研究をする予定であった。精神を蝕み、二時間以上拘束されたのは、昼食代の千円とはあまりに不釣り合いではないか。ただ宗教勧誘でなかったことのみが、不幸中の幸いであった。といってもこの事件を引き起こしたのは、寺に行ったことがそもそもの原因であり、それについて私はまだ仏様からの詳しい説明を受けていない。