低空飛行

あるかもしれないし、ないかもしれない

栗きんとんとは、どうしてこれほどに美味しいのだろうか。

 

実は、昨年まで栗きんとん —栗茶巾、というのが正しいのかもしれない— を食べたことがなかった。栗きんとんといえば、お正月におせちのお重に何となく入っている、元々の素材の味をぶち壊しにして、死ぬほど甘くした、ねちょねちょの栗だと思っていた。ところがどうだろう。茹でた栗の中身をすりつぶして砂糖を加えて、元の栗の形に成形しなおすという「もう一つの栗きんとん」の存在を知った。

 

栗は美味しい。それは自明の理である。栗が入っていれば大体全部美味しい。栗ご飯なら毎日出てきてほしい。むき栗を食べだしたら止まらない。

 

栗きんとんは、栗茶巾は、正確に言えば栗ではない。砂糖が加わった、すりつぶされた栗だ。しかし何故、これほどまでに、紛れもなく栗なのか。そこには、加えられた砂糖の存在など微塵も感じさせない、ただ完成された「栗の甘さ」が存在している。そして、驚くことに、その食感までもが栗なのだ。我々が栗きんとんを食べるとき、それは「栗そのもの」を食べているのに他ならない。

 

美味しい栗きんとんは、必ず中津川の栗を使っているようだ。中津川に行きたい。岐阜へ行くのにどれほどかかるのだろうか。栗きんとんめぐりがしたい。一日一栗きんとん。そういう人間に、わたしはなりたい。

 

 

 

一視点から見える過去

もう時効だと思うから、書き出してみることにする。

 

「まりあちゃん、お母さんのお友達でね、まりあちゃんにすごく会いたいって言っている人がいるんだけど、会ってくれる?」

小学校二年生のある時、妙に優しげな声音で、ちょうどその頃ヒステリーばかり起こしていた母がわたしに言った。わたしは今も昔も相変わらず年上のお姉さまが好きなので、当然「いいよ」と答えた。こういう状況でいやだ、という子どもがいたら是非会って話をしてみたい。

 

数週間後、わたしは少しだけ良い洋服を着せられて、母にどこかへ連れて行かれたと思う。正直なところ、初めてその"お友達"に会った時のことはよく思い出せない。何故かというとそのお友達というのが男性だったことに、この上なくがっかりしたからである。

そのわたしに会いたがっていたらしいお友達さんは、どこかのカフェだかレストランだかの席に着くなり学生時代の思い出話を始めたけれど、その内容がなんだか変だった。母とは一緒のクラスになったことがなく、あんまり話したこともないとは言うものの、話の内容も母のそれと微妙に噛み合っていないような気がしてなんとなく違和感を覚えながら、それでも母は楽しそうに話しているので、そのまま黙っていた。結局その日はあまり長いこと話さずにそのまま別れたと思う。

その後も、「この間のお友達がね、またまりあちゃんに会いたいって。いいよね?」と母に訊かれ、もちろん一緒に連れて行かれて何度か一緒に食事をした。それから「おばあちゃんには内緒だよ」と母から言われた。

 

最後にその人と会った日、その日はディズニーの映画を観に行くことになっていた。きっと大人二人がわたしに多少なりとも気を遣ったのだろう。映画観る前には、そのお友達さんにディズニーストアでぬいぐるみとおもちゃを買ってもらった。なんだか、気持ち悪いなと思った。わたしはそれまで父と母と三人で映画を観に行ったことがなかったし、こんなふうに父におもちゃを買ってもらったこともなく、ゲームソフトを除けば気まぐれに特に欲しくもないがらくたを与えられたことしかなかった。幼いころの誕生日には年の数の本数だけ赤い花をくれたけれど、「花が高いから」という理由で四才以降は何ももらわなかった。それなのに、なぜか三才下の従姉妹の誕生日にはぬいぐるみをあげていて、子どもながらにショックを受けたこともあった。だから急に普通の、円満な家庭じみた演出を、母とよくわからない人に軽々しくされて、すごく嫌な気分になった。映画も全然おもしろくなかった。

 

映画を観終わった後、なぜかカラオケボックスに行くことになった。案内された個室は妙に広い部屋で、わたしはひとりで映画を観る前に買ってもらったおもちゃで遊んでいたけれど、ふと見ると母とそのお友達が肩を組んでデュエットとかをしていて、まるで母が全然知らない人のように見えてとても不安になった。自分を置いてどこかへ行ってしまうのだろうかと思うといてもたってもいられなくて、わたしは気持ちが悪いと嘘を言って、母に膝枕をせがんだ。母の膝に頭をのせて、そこから見上げて見た母もやっぱり知らない人みたいで怖かった。

 一度幼稚園生の頃に、わたしと母と、友達とそのお母さんとで遠くへ遊びに行ったことがある。その帰りの電車で、疲れて寝てしまった友達がお母さんに膝枕をしてもらっているのを見て、わたしもやって欲しいとお願いしたことがあった。母は、洋服が汚れたら困るからと言って、わたしの顔の下にきつい香水の匂いが染み込んだレースのハンカチを敷いた。 

 

 結局カラオケボックスを出たのは終電がとっくに無くなった後で、雨が降っていてタクシーがなかなか見つからなかったので、家の遠いお友達さんが先に一人で帰っていった。タクシーを待つ間、ファミリーレストランで母と二人ミネストローネを食べた。チーズの入ったミートボールがおいしかった。「あんなお父さんだったらどうだったかなあ?」母が言った。わたしは母が欲している言葉を想像出来たし、父のことも嫌いだったから、お父さんよりいいね、と答えた。

 

その頃は週末になるとよく祖父母の家に遊びに行っていて、その日の夜はたまたま母が遊びに行っていていなかった。布団を敷いて寝る準備をしているときに「本当はもうあの人と会いたくない」とわたしが暗い顔で言ったから、祖母は少し戸惑って、どんな人なの?と尋ねた。わたしは祖母に洗いざらい全部話してしまって、罪悪感で胸がちくっとしたけれど、少しだけ安心して雨の音を聞きながらぐっすり眠った。

 

それ以来そのお友達とも会っていないし、母に聞いてもはぐらかされるので忘れたふりをしている。一度だけ家にマンゴープリンが入った箱が届いたことがあって、それは仕事の都合でどこか遠くの方に行ったらしく、そこから送られてきたものだった。そのマンゴープリンもあんまりおいしくなかった。

彼、または彼女との隔たり

研究室の同期の友人が休学するらしい。

 

彼(、または彼女)とは、かれこれもう5年の付き合いで、最初は英語のクラスが一緒だった。席が隣になった折に話してみると、自分とは全く違う世界に生きている人だなという印象を受けたのを強く覚えている。その日はサークルの先輩と朝まで夜通し酒を飲み、そのまま授業に来たと話していた。「二日酔いに効くって書いてあったから」と言って、天然ミネラル麦茶を飲んでいた。英語の授業に関してはあまり積極的でなかったけれど、専門分野の入門書をずっと読んでいたから真面目なんだと思った。

 

その後しばらくして、同じ研究室に配属になってからもう少し深く付き合うようになった。彼は、学期初めは決まって毎日大学に来て、きちんと授業にも出て、自主課題もやって、とことん良い生徒なのだが、時間が経つにつれて次第に大学に来なくなるというのを繰り返していた。その結果として彼と、そしてわたしも、理由は違えどほかの同期たちよりも長く大学にいることになった。

 

冬に一度、一緒にラーメンを食べに行ったことがある。ふたりきりできちんと話すのはその時が初めてで、彼はわたしに精神科に通院していること、薬を服用していることを話してくれた。

よくよく話を聞いてみると、わたしと似ているなと思うところがたくさんあった。バイトをすぐに辞めてしまうこと、大事なこと・大切なものを忘れてしまうこと、自己肯定感が皆無なこと、自分が考えていることを言葉にするのが不得意なこと、頑張りたいけど頑張れなくて逃げ出してしまうこと、エトセトラ。

 

わたしは、いま論文から逃げ続けている。担当教官にはもう2か月連絡していない。彼とも3か月前に会ったきりで、ずっと音信不通だったけれど、以前教えてもらった彼のブログを久しぶりに覗きに行くと、実家に帰って休学することになったと書いてあった。

 

わたしたちふたりは、一体何が違っていたのだろう。何故わたしだけが未だに軌道の上に立っているのだろうか。

とある面接官に拾われた話

夕方に某企業の面接を控えていたその日の午前零時半過ぎ、寝る前に持ち物を確認しようと思い立ってメールを開いた瞬間、感情を失った。

 

*持ち物

  • 履歴書
  • 成績証明書
  • 卒業見込証明書
  • 外国語能力証明の写し

 

わたしは泣きながら履歴書を書いた。書くことに精一杯で、コピーを取ることも忘れた。間違えませんように間違えませんように間違えませんように間違えませんように間違えませんように間違えませんように… そう念じながら、ボールペンを持つ手を震わせながら履歴書を書き終わったのは、午前2時前だった。成績証明書と卒業見込証明書はなんとか予備の分があり、外国語能力証明もどうにか見つけ出すことが出来た。

 

午前11時前、乃木坂駅で電車を降りた。友人と国立新美術館ミュシャ展へ行く約束をしていた。

今回の展覧会の中心は言うまでもなく「スラヴ叙事詩」、ミュシャが18年にも及ぶ月日をかけて描いた20枚の巨大絵画の連作である。

 

わたしはこの「スラヴ叙事詩」を見たことで、絵から何かしらの活力を獲得したらしい。人間の生命力と闘争心、勝利、自由の獲得、そして喜び。人間は、様々な可能性を持っている。わたしも同じ人間で、その例外ではない。わたしは生きている。それ以上に素晴らしいことがこの世にあろうか。生きているだけで、価値がある。たとえ就職できなくても、大学を卒業できなくても、生きてさえいれば何とかなる。その瞬間、わたしは心から本気でそう思った。

 

展覧会を後にし、サブウェイに向かって友人と歩いた。途中、上下共にピンク色のスーツを来ているビジネスマンを見かけ、六本木とはなんと恐ろしい町なんだろうと改めて思った。サブウェイには土地柄だろうか、外国人が多かった。レジで研修中と札を付けていた店員も、中国人だった。彼女の日本語は完璧ではなかったが、それでも彼女は堂々と日本語を話していた。わたしは、ネイティブと外国語で、あんなふうに会話ができるだろうか。外国語で会話をしている時は常にどこかしらで劣等感を抱え、恥ずかしさを打ち消すことができずにいる自分を思い出した。ネイティブでないのだから、完璧に話せる必要などどこにもないのに。

 

その後六本木駅で、オーストラリアから来たという観光客2人に話し掛けられた。

「六本木で面白い場所教えて下さい。」

「うーん…六本木ヒルズかミッドタウンかな…」

「そこは渋谷みたいに面白いとこなの?」

「いや、お金持ちの人がたくさんいるとこだよ。」

「それはあんまり面白くないなあ…」

 

友人と別れて面接会場に向かう電車内で、わたしは完全に悟りを開いていた。生きてさえいれば、何とかなる。企業研究もしていないし、自己PRの文章も考えていないけれど、何とかなる。何とかならなくても、何とかなる。素直に、その場で思い考えたことを、そのまま言おう。そう決めた。

 

わたしはその日の面接以前に4社の二次面接を立て続けに受け、そして全滅していた。健気な就活生を演出すべく必要以上に緊張している振りなどをしてみたが、全て無駄だった。何故なら企業研究すらろくにしていなかったからである。逆質問で何を聞けばいいのか、いつも悩む。ホームぺージを読んでも、会社のパンフレットを読んでも、わからないことがわからない。そしてその反省を生かすことなく、再び同じように面接に臨もうとしている。勝算の無さと異様な精神状態の前に、緊張などあるはずもなかった。

 

面接の前に自分の提出したエントリーシートを一応読み返してはいたものの、面接官に促されて席についた時にはもはやほとんど思い出すことは出来なかった。「学生さんは皆さん考えていらっしゃってると思うので、まずはじめに自己PRをどうぞ。」そんなものは考えていない。1分バージョン、3分バージョン、5分バージョンを考えていきましょうという文字は見たが、考えていない。自分の性格と長所を雑に羅列しただけの、30秒にも満たないPRをした。「終わりですか?」「はい。」「では、先ほどの自己PRに沿った具体的なエピソードを教えていただけますか?」わたしは白旗をあげた。「それは、エントリーシートに書いた内容をそのまま言った方が良いのでしょうか?」

 

面接官は一瞬驚いたような表情をしたがすぐに愛想笑いの顔になるよう筋肉の配置を元に戻し、「書いていない内容でもどちらでも構いませんよ。」と言った。わたしは書いたか書いていないかすらわからない、その場で思いついたエピソードを口から出任せで話した。不思議なことに、話に詰まることは無かった。内容に関して面接官からひとつ質問を受けたものの、独自の謎理論を展開して迎撃した。終始妙に落ち着いて受け答えをしていたのか、「なんだかまるで全てを悟っているかのようですけれど、緊張していらっしゃいますか…?」と面接官は言った。「そうですね、それなりには。」わたしは答えた。

 

その後、志望度について質問された。第一志望です、と言わなければいけないことはわかっていたが、それでも、どうしても、なぜか、第一志望ですと答えることが出来なかった。こんなことは初めてで、自分でもどうすればいいのかわからなかった。

「志望度は、高いです。」そう蚊の鳴くような声で言ったわたしから、面接官は何かを感じ取ったのかもしれない。続けざまに「他にはどのような業界や企業の選考を受けていますか」と聞かれた。「好奇心が強いもので、いろいろ説明会に参加してはいるのですが、中々業界も絞りきれずにいます。」わたしは正直に胸中を吐露してしまった。以前の面接で、同じような質問に同じように答えてしまった際に面接官から説教をされたので、今回もまた就職活動に対する意識の甘さを指摘され呆れられるのだろうなと、諦めの気持ちでいっぱいになった。

 

「そうですよね。入ってみなければ結局その会社がどんなところかなんて分からないですし、こんな短期間で一社決めるなんてそもそも無理な話ですから。今の段階で弊社が必ずしも第一志望である必要は無いですし、たくさんの会社を見て回って、それから決めればいいと思いますよ。」

 

わたしはすっかり拍子抜けしてしまった。よくわからないけれど、目に涙が滲んだ。その後も面接は20分ほど続いたが、雰囲気が変わることもなくそのまま終わった。きっとあんなに優しいことを言っていても落とすのだろうなあ、と思ったが、不思議と心は軽かった。

 次の日、正午前に起床してテレビを見ながら朝食なのか昼食なのか判断し兼ねる食事をとっていると、スマートフォンが振動した。前日に面接を受けた企業からの最終面接の案内だった。その日も夕方から他社の二次面接を受けに行ったのだが、史上最悪の圧迫面接だった。落ちたな、という手応えしかなかった。

 

わたしは考えた。もう二度と最終面接まで辿りつけないかもしれない。自分の精神もだいぶ限界に近い。きちんと企業のことを勉強して、面接対策もして、最終面接を受けよう。それで落ちたらもう仕方がない。一旦小休止して、もう一度はじめから就職活動をやり直そう。業界や業種に拘らず、一人で他人様に迷惑をかけずに生きていけるだけの収入を得ることが出来れば、それで十分だろう。そこがきっと、自分にとってのちょうど良い場所なんだ。そう思った。それから一週間、わたしは珍しく、というかここでやっと初めて、企業・業界研究に精を出した。その間にも他社の面接があったが、ほとんど脇目も振らなかった。

 

最終面接では、何度も練り直して完璧に暗記した志望動機も、徹夜で勉強した製品についても、何も聞かれなかった。その企業でなければならない理由は、曖昧にしか答えられなかった。ただ掲示板の書き込みにあったほど、重苦しい雰囲気ではなかった。

 

面接が終わって、山手線に乗って、そのまま二周ほどした。周囲に座っているビジネスマン風の大人たちのように、自分はきっとなれないのだろうなと思った。目の前で何気なく過ぎていく日常が突然映画のように感じられて、自分は一人だけそこに干渉できない、透明人間になってしまった気がした。社会の一員として、労働し、税金を納めない限り、生きていくことは許されない。働いていないのにご飯を食べるなんて、烏滸がましい。数日前に見た匿名掲示板にあった、そんな書き込みを思い出す。エアコンで適温に保たれているはずの車内で、異様に喉が渇いた。世の中にはどうにもならないことだってある。もしかしたら、わたしの就職活動は永遠に終わらないかもしれない。今まで多額の教育費を投資して貰ったのに、こんな出来損ないの社会不適合者になってしまって、申し訳無い気持ちでいっぱいになった。どうやったら他の人に迷惑をかけずに死ねるかなと考えて、死ぬことは他の何よりも他人に迷惑しかかけないという結論に至って、絶望した。

このまま電車に乗っていても埒が明かないので、山手線を降りて別の路線に乗り換える。そのまま家の近くのターミナル駅で改札を出て、ゲームセンターとブックオフを一周して、もう一度電車に乗って、家に帰った。リクルートスーツを脱いで、顔を洗って、歯を磨いて、パジャマに着替えて布団に潜り込んだ。布団に包まれながらわたしは目を瞑って、必死に眠りの世界に閉じこもった。

 

目を開くと、部屋は真っ暗だった。別の部屋に置いた鞄に入れっぱなしだったスマートフォンを見ると、不在着信があった。すぐに折り返し電話をした。

「本日は最終面接にお越しいただき、ありがとうございました。面接の結果、飯田さんには是非弊社に入社して頂きたく、ご連絡を差し上げました。」

「はい、あの、ありがとうございます。」 

「他社の選考をまだお受けになるようでしたら、猶予期間を設けることも可能ですが、いかがですか?」

 

わたしは、その場で「入社します。」と即答できなかった。

 

「わかりました。そうしましたら、猶予期間については後日またご連絡差し上げます。もし迷われているようでしたら、いつでもご連絡下さいね。」

 

電話が切れた。

残っている選考は、あと一社だけだった。なんとなく一応その一社を第一志望だと自分に思い込ませて就職活動をしていたために、ここで終わりにしてしまって良いのだろうかという気持ちを抑えることができなかった。

その夜、母親に初めて自分の就職活動について話した。なぜそこで入社しますと言わなかったのか、私には理解できません、と言われた。

 

もし両社から内々定を貰えたら、わたしはどちらを選択するだろう。 わたしにとってちょうど良い場所は、どこなのだろうか。

 

三日後の夕方、内々定を頂いた企業に入社したいという旨を電話で伝えた。

 

就職活動が終わった。

六月一日のことだった。

片思いは非現実の夢

 2017年1月から放送されていた『カルテット』というドラマがある。その第8話は、物語の中心であるカルテット・ドーナッツホールのメンバー4人のうちのひとりである、世吹すずめ(満島ひかり)の「片思い」を凝縮した回である。

このドラマは「大人の恋」がテーマで、4人はそれぞれが片思いをしている。巻真紀(松たか子)は失踪した夫に、別府司(松田龍平)は巻真紀に、世吹すずめは別府司に、そして家森諭高(高橋一生)は世吹すずめに片思いをしている。真紀が夫を好きなこと、そして別府が真紀を好きなことはカルテットのメンバー全員が知っているのに対して、すずめが別府を好きなことはすずめ本人と家森しか知らないし、家森がすずめを好きなことは家森本人以外誰も知らない。さらに別府は、すずめは家森が好きだと思っている。

カルテットのメンバーは、音楽エリート一家に育った別府の実家が所有する軽井沢の別荘で生活をしている。定職についているのは別府のみで、家森と真紀は不定期でアルバイトをしており、すずめは日がな一日家で気ままに過ごしている。またカルテットとしての仕事はライブレストラン・ノクターンでの演奏がほとんどで、それ以外の活動はほとんどしておらず、その状況を別府の実家は良く思っていない。別府は実家から、別荘を売りに出すという話を聞かされていたが、そのことをカルテットのメンバーに言い出せずにいた。

 

第8話の冒頭、4人はワカサギ釣りをしている。初めは絶好調だった4人だが、魚類を馬鹿にする発言をした直後から、めっきりワカサギが釣れなくなる。すっかり暇を持て余し、すずめが「何か楽しい話でもしましょうよ」と切り出した。すると、真紀が前日の夜に見た夢の話を始める。別府とすずめは「へえ」と答え、立て続けに別府が夢の話を始め、それに真紀と別府が「へえ」と答える。

「ちょっとちょっとちょっと君たち、一体何の話をしているのですか。夢の話じゃないでしょうね。人の夢の話聞いても〈へえ〉としか答えられないでしょう。〈へえ〉からは何も生まれませんよ。〈へえ〉を生まないで。」

 

次の日の午前、すずめは、初めて軽井沢に来た日の夢を見ていた。

別荘には別府とすずめの二人きりで、別府は昼食にナポリタンを作っていた。その日すずめは真っ白なブラウスを着ていて、別府は「ナポリタン、危険です。白い、きれいなお洋服だから。」と、自分が着ていたエプロンをすずめに着せる。

食事のあと、別府が洗濯物を干している横で、すずめは三角パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。

「世吹さん、前もそのコーヒー牛乳飲んでましたよね。好きなんですか?」

「ああ、はい。好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。」

布団の中ですずめはその夢を見ながら、少し照れたような顔をして幸せそうに笑っている。

 

すずめが寝惚けながらリビングに降りていくと、別府は夢の中と同じエプロンをして、夢の中と同じ麺の湯切りを持っている。「すずめちゃん、お昼ごはん食べますよね?」と、別府はナポリタンではなくお蕎麦を出した。すずめは少しがっかりしながら、そのお蕎麦を食べ始める。

「サボテンって水あげなきゃいけないんですか?」

「サボテンこそ、お水あげなきゃですよ。」

  リビングにあるサボテンを育てているのはすずめで、他の3人はいまのところ関心を持っていない。

 

「もうずいぶん一緒にいるような気がしますけど、すずめちゃんが初めて来て、ナポリタン食べたのって、ついこの間なんですよね。」

「別府さん、覚えてるんですか?ナポリタン食べたの。」

「そりゃ覚えてますよ。」

「じゃあ、あれも?」 

 

第3話ですずめは、別府の布団に潜り込んだことがある。「大人の恋」の必勝法、”猫になって相手を落とす方法”として、ペットボトル一本分の距離を保って相手からキスさせる、と教えられたのを思い切って実行したのだ。すずめは家森が好きだと思っている別府がすずめにキスをすることはなく、動揺しながら「どうしたんですか?」と尋ねた。すずめは咄嗟に「Wi-fiが繋がらなくて…」と嘘をついたが、別府はその後すずめと目を合わせることなく、部屋を出て行ってしまう。しかしその回の最後、すずめは別荘の玄関先で衝動的に別府にキスをして、「Wi-fi、繋がりました。」と言った。家森はそのようすを遠くから見つめていた。

「あれ…?…覚えてます。覚えてるんですけど、どういうふうに理解したらよかったのかなって…Wi-fiって…」

「ロックンロールナッツ、食べましたよね。」

「あっ…アイス。あ、コンビニ行きましたね。」

「行きましたよねえ。」

 

気まずい空気の流れる中、2階から「別府くん。2階のトイレ、便座が暖かくならないの。」と家森が階下へやってきた。別府はそこから逃げ出すように2階へ向かい、家森は別府の座っていた席で別府の食べていたお蕎麦を食べ始めた。

「家森さん、バイト見つかりました?」

「すずめちゃんって、前に別府くんとキスしてたよね?」

「何で話逸らすんですか?」

「別府くんってでも真紀さんのこと好きだよね。真紀さんお離婚しちゃったし、ピンチじゃない?」

「一緒にバイト探しましょうよ。」

「五文字しりとりする?か・た・お・も・い。」

「いいんです。」

「あ、いいんだ。」

「す、ですよ。す。」

 

そこへ丁度外出中の真紀が帰ってきて、頼まれていた単三電池とコーヒー牛乳をすずめに渡した。すずめは、逃げるように階段を駆け上がって2階の自室へ向かった。

 

その日の夜、日中別荘に来た弟から自分の大好きなカルテットのメンバーたちを否定され、別府はなんとなく元気がない。すずめはその際のやり取りを聞いてしまい、自分たちの存在が別府の迷惑になっていると気づく。元気がない別府を、真紀は心配しているが、すずめはそれに気づかないふりをして、真紀に何気なく別府に聞いてみることを勧めた。

2階に上がると、アイスを食べながら別府と真紀が楽しそうに談笑している。すずめはそんな二人に気を遣って先に自室に戻り、箪笥から宅建の合格証を取り出すと、別府と真紀の笑い声を聞きながらそれを眺めている。

 

翌朝、すずめは珍しく「バイトの面接に行って来ます」と朝早くリビングに降りてくる。スーツを着て髪を束ねているすずめはまるで別人のようで、他の3人は驚いている。

 

無事不動産屋でのバイトが決まると、すずめは得意気に、エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴ」をBGMにくるくる回りながら、帰路についた。 途中でスーパーマーケットに寄って良い匂いの柔軟剤を買い、別荘に帰るとすぐさま別府のパジャマを洗濯した。真紀は匂いに敏感で、すれ違いざまに別府の着ているパジャマの匂いをかいでうっとりしている。そんな様子を見ながら、すずめは満足げにチェロを触っている。

真紀が雑誌を見て「おいしそう」と言えば別府にそれを帰りに買って来てくださいとLINEを送り、別府の引いたおみくじが凶なら自分の引いた大吉のくじとすり替える。

食器を洗いながら手が触れてしまって照れあう別府と真紀のことを、すずめはリビングの片隅で、大好きなコーヒー牛乳を飲みながら、蕾のついたサボテンの世話をしながら眺めている。

 

 ある日、すずめはバイト先の不動産屋の社長からコンサートのチケットを2枚貰う。

「これ、私の好きな人にあげてもいいですか?」

「もちろん一緒に行っておいで。」

すずめは首を横に振った。

「私の好きな人と、好きな人に行ってもらってもいいですか?」 

 

 「私の好きな人には、好きな人がいて、その好きな人も私は好きな人で、上手くいくといいなあって。」

「うん?君の好きはどこに行くの?」

「ああ。」

「置き場所に困らないのかね?」

「私の好きは、その辺にごろごろしてるっていうか。」

「そのへんにごろごろ、って。」

「寝っ転がってて、で、ちょっと、ちょっとだけ頑張るときってあるでしょ?住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか、エスカレーターの下りに乗るときとか、バスを乗り間違えないようにするときとか。」

「ああ、あの、卵のパックをかごにいれるときとか。」

「そう。白い服着て、ナポリタン食べるとき。そういうね、そういうときにね、その人がいつも、ちょっと、いるの。いて、エプロンかけてくれるの。そうしたら、ちょっと頑張れる。そういう、好きだってことを忘れるくらいの、好き。」

「ははは。」

「変かな?」

「眩しいね。」

 

次の日すずめは朝食を食べながら、職場に同い年で素敵な人がいて、その人と鉄板焼きを食べに行くことになったとメンバーに話した。ピアノを聞くと気持ちよくなって眠ってしまうから、別府と真紀でコンサートに行って来て、とチケットを渡す。家森はすずめの思惑を知ってか知らずか、自分がコンサートに行くと言ったが、すずめは強引に2人にチケットを渡した。

 

そんな様子を見兼ねてすずめは家森を自室に呼び、自分たちが別府の負担になっていること、独立しようと考えていることを打明けた。

「へえ」

「私、夢の話してませんけど。」

「夢の話でしょ。片思いって一人で見る夢でしょ。すずめちゃんがここを出たいのはさ、真紀さんを見てる別府くんを見てるのがつらいからじゃないの?両思いは現実、片思いは非現実、そこには深い川が」

「…協力してください。2人が上手くいくように。」

「へえ…」

 

育てていたサボテンに花が咲いたのを、別府と真紀が物珍しそうに見ている。すずめは2人には声をかけず、そのままバイト先に向かった。

 

別府と真紀がちょうどコンサートに行っている頃、コンサートの演目だったリストの曲を聞きながら、すずめは一人でする必要の無い残業をしていた。フランツ・リスト『慰め』 第3番。すずめはいつの間にか眠りに落ちてしまい、別府との出会い、そして今夜真紀ではなく自分が別府と一緒にコンサートに行っている非現実の夢を見ている。夢の中ですずめは、上下まっ白の洋服を着ていて、エスカレーターの下りに乗るとき、別府はすずめの手を引いてくれる。コンサート会場に着いて、腕を組んでくれる。コンサートの後は感想を言い合いながら夕飯を食べて、帰りにはいつものコンビニで2人でアイスを食べる。

 

夢を見ながらすずめは涙を流していた。

 

人気のないまちを夢うつつのまま、すずめは急いで走っていく。コンサート会場につくと、ちょうど別府が出てきた。すずめは別府の姿を見て、思わず声をかけてしまいそうになるが、そこへ真紀が出てくる。真紀にコートを着せる別府、真紀と二人で写真を撮る別府。そんな2人の様子を見て、自分の片思いが非現実であるという現実を突き付けられて、すずめは再び涙を流す。

 

すずめにとって別府は、毎日毎日飲んでいる大好きなコーヒー牛乳のような存在である。別府がそばにいてくれるから、だから頑張れる。しかし別府は相変わらず真紀が好きで、それに対してベッドに潜り込んでも、ペットボトル1本分の距離まで近づいてもキスをしてもらえなかった自分。自分を家族という呪縛から解放してくれた真紀と、真紀を騙していた自分。すずめにとって、真紀は自分より大事な存在で、自分自身よりも真紀が好きで、そんな大好きな2人が幸せになって欲しくて、すずめは頑張っている。すずめのそばには、別府がいるから。たとえ別府がすずめのことを見ていなくても、そばにいてくれるだけで頑張れる。すずめは、自分が幸せになることではなく、別府のそばで頑張って、大好きな2人の幸せのキューピッドになることを選んだのだ。

 

ただ夢の中でだけは、別府は真紀ではなくすずめだけを見てくれる。手を差し伸べてくれる。別府がそばにいてくれるから、すずめはまっ白な洋服を汚す心配もなく着れるし、エスカレーターの下りにも乗れる。

しかしその夢はただの非現実にすぎない。現実と非現実は決して交わることのない別々の世界で、非現実が現実になることは決してない。すずめの夢は、すずめ以外の人にとって「へえ」でしかなく、それは別府にとっても例外ではない。別府にとってすずめの片思いは非現実で、その非現実の夢からは「へえ」以外の何物も生まれない。「へえ」を生まないためにも、すずめは別府への思いを永遠に心に秘めておくしかない。

 

***************

就職活動はしばしば恋愛に例えられる。学生は企業に対して、自分の思い描く将来を語る。その企業で働いている自分、企業に貢献している自分、何かを成し遂げている自分、エトセトラ。しかし多くの場合、それは企業側にとって「へえ」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。そしてその将来が現実になる可能性を持っているか、非現実にしかなり得ないのか、それは「なんとなく」判断されているにすぎない。

 

「飯田さんにとって、就職活動の軸は何ですか?」

 

これは、わたしが就職活動中に最も嫌悪感を抱いた質問である。実際のところ就職活動の軸なんてそんなものは何も無かったが、この質問はどんな企業の面接でも頻繁に繰り出されるため、この質問に対して相手を納得させられる回答を用意して行かないことは即ち死を意味する。

 

某電力会社の面接に向けて回答のシミュレーションをしている時に、わたしはついに困り果ててGoogle先生に質問した。

 

「先生、就職活動の軸とは何ですか?模範回答はどのようなものですか?」

「まりあさん、それはね…」

 

その模範回答を読んで、わたしは愕然とした。

 

発展途上国発電所を作って、電気を届けたい!」

 

実はその電力会社の面接に臨む前、わたしはリクルーター面談の機会を二度頂いていた。そこでお話を伺った社員の方もこう仰っていたのだ。

 

発展途上国発電所を作りたいと思って就職活動をしていました。」

 

正気か…?と思った。これが夢物語以外の何だって言うんだろう… みるみる気持ちが萎えて行くのがわかった。恐ろしいことに、HPやパンフレットに掲載されている他の先輩社員や、あまつさえ面接の控え室で会う他の就活生ですら、口々に全く同じようなことを言うのである。とんでもないところに来てしまった、そう思った。そんな話を聞いても「へえ〜そうなんですね〜!なるほど!」としか言えなかったし、それはわたしにとって別世界の非現実でしかなかった。

 

”先輩社員様方のやんごとなく有り難いお話を聞いて、〈へえ〉以外の感想が生まれるかどうか”

それがわたしの本音の部分での就職活動の軸である。では建前の部分ではどう答えていたか。

「社風や会社内の雰囲気です。」

 

こう答えると、数回に一回は「説明会や座談会、OB訪問、そして選考の過程で会える社員の数は限られていると思いますが、その点だけで社風や雰囲気を本当に理解できるのですか?」と馬鹿な質問をされる。

考えてもみて欲しい。説明会や座談会とは、企業と学生との、数少ない大事な接点である。果たしてそこに出来の悪い社員、あるいは会社に馴染めていない社員を連れてくるだろうか。これから先何十年と共に働くことになるかもしれない就活生を、社内で浮いている異端社員に篩にかけさせるだろうか。

 

 選り抜きの先輩社員数人の話を聞いて「へえ」としか思わなかったのなら、それはもうどうしようもなく、その企業には合わなかったということに他ならないとわたしは思う。「へえ」からは何も生まれない。就活生は「へえ」しか生まない非現実という泥沼から早々に足を洗って、次の現実に向き合って行かなければならない。

嘘をつかないと大人になれない

わたしは幼少期、かなり嘘をつく子どもだった。なぜ嘘をつくのかといえば、それは怖い大人に怒られたくなかったから、ただそれだけの理由である。

怖い大人というのは、母親であったり、小学校の担任の先生であったり、以前自分が怒られたことがある、あるいは誰かを怒っているのを見たことがある大人であった。わたしは自分の保身のために、ほんの小さな嘘から大きな嘘まで、ありとあらゆる嘘をついた。

 

しかし大人は子どもに「嘘をついてはいけない」と言う。大人たちは狼少年の話や、嘘つきは泥棒の始まりだ、という言葉などで、「嘘をつけば、その代償を支払わなければならなくなる」と子どもたちを脅す。

わたしの周りにいた怖い大人たちも例外ではない。その成果として嘘をついたあとは、子どもながらにいつも大きな罪悪感に苛まれていた。嘘をついてはいけない。嘘をつくことはとても悪いことである。しかしそれでも、嘘をつくことの罪悪感よりも大人に怒られることの恐怖が勝っていたから、幼いわたしは嘘をつき続けていた。

 

ところが小学校を卒業したころから、「実は大人はそんなに怖くないのではないか」と思い始めた。それと同時に怒られるようなことをする機会もめっきり減り、嘘をつく必要がなくなった。

それまで大いなる罪悪感を抱きながら度々嘘をつかざるを得ない状況にあったわたしは、「嘘をつかないことは、なんて精神的に楽なことなのだろう」とそれまで嘘ばかりついていた自分を非常に反省した。そして「もう嘘はつかずに、正直に生きていこう」と心を入れ替え、素直でまっとうな人間になるべく、その後は自制心を必要以上に働かせて生きてきた。

 

ところが、社会は嘘をつけない人間を必要としてはいない。

企業の実施する性格検査には、ライ・スケール(Lie Scale)という、受験者が嘘をついていないかどうかを確認するための設問がある。その中に「これまでに一度も嘘をついたことがない」というものが含まれている。この質問には、絶対に「はい」と答えてはいけない。しかし、一万人に一人、いや十万人に一人くらい、これまで大人の言いつけを守り抜き、嘘をつかずに生きてきた善良な人がいるかもしれないではないかと私は思う。

 

わたしにとっては幼少期の嘘をついた時に抱いた罪悪感が、一種のトラウマのようになっている。嘘をつくことはとてもいけないことで、嘘をついてしまったらその代償を支払わないといけないと今でも思っている。

これまで受けた数社の面接で志望度を聞かれる度に、わたしは「第一志望です。」と答えたし、内々定を出せば就職活動を終えますかと聞かれれば「はい、終えます。」と答えてきた。ひょっとしたらそのような嘘をついた代償に、わたしは未だに内々定を貰えていないのかもしれない。

 

つい数日前に受けたグループ面接で、面接官が最後にひとつだけアドバイスを、とこんなことを言った。

「面接で志望度を聞かれれば第一志望でなくても第一志望と答えればいいし、内々定を出せば就活を終えるかと聞かれれば終えますと言えばいいんです。内々定を貰った後で自分なりに考えて、それで入る会社を決めればいいんですから、そこは構わず嘘をついてください。」

 

嘘をつきなさい、と大人に言われるのは初めてかもしれない、とわたしはぼんやり思った。

子どもは嘘をついてはいけないけれど、大人は嘘をつかなければ生きていけない。嘘をつくということは悪いことでもなんでもなく、お酒や煙草のような、大人になるための一つの通過儀礼にすぎない。

神さま仏さま

就職活動も本格化する最中、わたしは今日とある企業の二次面接に臨んだ。面接の雰囲気は少し張り詰めていて、それまで穏やかな面接しか受けたことがなかったために、多少ではあるが狼狽えていた。
そして最後の逆質問で、以前人事の方から聞いた某国でのM&Aについて尋ねた瞬間、面接の場は絶対零度にも匹敵するレベルで凍った。

「その話、どこで聞きました?」

面接官は、強ばった顔で、必死に何かを押し殺しているかのような表情で言った。
これは絶対に、何かがおかしいな、と思いながらも「前回、人事の方にお会いした時に伺いました」と、わたしは正直に答えた。

「その話、無くなったんですよ」

ああ、終わったな、と思った。

面接官に対して合計5回くらいお辞儀をして面接会場から出ると、すかさず人事担当の社員の方が近寄ってきて、「どうでしたか?」と聞く。「鋭い質問もあって…あはは」と、いつものように適当に答えた。無論鋭い質問など無いし、上手く答えられなかったのは自分の甘さと責任であるし、最後の逆質問はどこに埋め込まれているかわからない、文字通りの地雷だった。もう二度とここへ来ることはないだろうが、特に虚しいという感情も悔しいという感情も何も芽生えなかった。

面接のついでに、せっかく出かけたからこのまま帰るのも勿体ないと思って、有楽町の某家電量販店へ腕時計の電池交換をして貰いに行った。腕時計自体は何の変哲もない普通の時計だけれど、少しだけ思い入れのある時計だった。

時計の修理コーナーに行くと、交換用のベルトがたくさん並んでいた。せっかくの機会なので、ベルトも新しいものに替えることにした。
時計のベルトには、幅の種類がたくさんある。お店の人に測ってもらったところ、私の持っている時計のベルトは18ミリだったので、売り場にあるものの中から適当に一つ見繕って修理受付カウンターに持っていった。
30分から40分ほど掛かりますと言われ、引換証を受け取って、その場を離れた。

就職活動中に一番苦痛だと感じるのは、間違いなく手持ち無沙汰で暇な時だと思う。することが無いと、なんとなくスマートフォンを見てしまう。なんとなくメーラーを開き、更新し、みんしゅうのマイページに飛び、新しい書き込みが無いかチェックし、そしてまたメーラーに戻る。
いつ来るともしれない、果たして送られてくるかどうかもわからないメールを、ぼんやりとした意識の中で、つい数十分前に受けた面接を反芻しながら、ただひたすらに待ち続ける。

そうこうしているうちに35分が過ぎ、そろそろ頃合かと思って時計修理カウンターに戻った。磁気帯びに気をつけてくださいね、という言葉と共に、ベルトを交換してすっかり綺麗になった腕時計を受け取り、古いベルトは破棄してもらうようお願いをして、お店を後にした。
蛍光灯の青白い光に溢れている家電量販店の中にあって、オレンジの電球色で包まれている時計修理カウンターは異界のような場所で、少し気が紛れた。来てよかったなと思った。

その後電車に乗って、乗り換えをする駅で階段を上っている時に、ふとお寺に行こうと思い立った。違う電車に乗り継ぎ、改札を出てから、思っていたよりも人気のない、シャッターの多くが閉まったままの寂しい参詣道を歩いていく。お寺の入口近くには喫煙所があって、この地域の民度の低さを無意識に演出していた。

本堂の前のお賽銭箱に五円玉を投げ入れて、本命三社の面接が上手くいくよう(いっているよう)お願いをする。きっと藁にもすがるというのは、こういうことを言うのだろう。わたしは特別に信心深い訳では決してない。それでも神社の神様と、お寺の仏様の両方に頭を垂れて、両手を合わせて、目を瞑って、お願いごとをする程度には、追い詰められている。時間とわたしのやる気が許すなら、日本中で祀られている全ての神様、仏教の全宗派、でお願いをしたいとも思っている。しかしそれは、少なくとも現時点では、一願望に過ぎない。

お賽銭からの流れで、おみくじも引いた。結果は吉で、内容もまずまずだった。
おみくじに、「信心深ければ、(中略)吉なれば更に幸を加護せらるべし」と書いてあったから、今日ばかりはお寺にお金を落として帰ろうと心に誓い、最後に献香をしようとしていたところで、わたしは一人の女性に声を掛けられた。
彼女は、わたしがなぜ寺にいるのか、なぜ寺に来るに至ったか、現在私の置かれている(個人情報や就活についての)状況など、初対面の人に尋ねるのは明らかに失礼だろうという事柄まで、「なんで?」と尋ねてくる。普段であれば、当たり障りのない受け答えをして、きっとその場を立ち去ったに違いない。
だが、わたしはその時、すっかり仏様の気に当てられて正常な判断力を失っており、これは仏様のお導きなのでは、とまで考えていた。そんなわたしが、その老女の問い掛けを軽くあしらうはずがなかった。

彼女は次第に、何故そんなに自信が無いのか、良い育て方をされたと両親に感謝しないのか、と、わたしにとって何よりも触れられたくない部分に侵食してきた。わたしは、自分自身について、特に家庭環境について追及されると、ものの数十秒で泣く自信がある。
そんな涙目で泣くことを堪えているわたしの姿は、老婆の好奇心を益々刺激してしまったらしい。彼女は、何か奢るから座って話しましょう、とわたしを喫茶店に連れていった。その時には既に完全に主導権を握られており、わたしには拒否する術も、心の余裕も無かった。

席に着くなり、老婆はわたしの家庭環境について、お決まりの「なんで?」を織り交ぜて、根掘り葉掘り尋ねてきた。わたしは、あっという間に泣き始めた。店員さんが心配そうに様子を窺っている中で、老婆は口撃を止めなかった。
はじめは律儀に質問に答えていたわたしも、ここでようやく自分の置かれている立場を冷静に分析できるようになってきた。見ず知らずの人に、十年以上付き合っている友人さえも立ち入らない領域に、なぜ易々と侵入を許しているのか。何を馬鹿正直に、丁寧に質問に答えているのか。わたしはここで、ようやく口を噤んだ。

わたしが何も話さなくなったことで、老婆は次第に自分自身のことを話し始めた。
結論を言うと、彼女は、彼女自身を幸せであると信じて疑わず、また自分にとっての幸せ以外の幸せの形が存在することを理解出来ない人間だった。相手の事情を察するという基本的な考えを持ち合わせておらず、また納得の出来ないことに対しては、常に「なんで?」と問い掛け、瑣末な感情まで全てのことに(自分の納得出来る)理由を求める、非常に面倒な性格だと言えると思う。
わたしは、自分の状況について幸せだとも幸せでないとも感じていないし、またその状況をどうにか改善しようとも思っていない。話を聞いて欲しいともお願いしていない。それにもかかわらず、わたしの状況を勝手に「異常」呼ばわりして騒ぎ立て、浅はかな同情と好奇心で、平気で個人の領域に踏み込んでくる。このような信じられないほど下品な人に、わたしはこれまで片手で数えられる程しか出会ったことがない。本当に信じ難く、腹立たしくて仕方がなかった。

話が少し逸れるが、わたしは自己・他己分析を通して、自分自身を「少しマイペースな人間」であると認識していた。わからないことに対しては「なんで?」とよく問い掛けるし、それが解決するまで調べ物をすることもある。人と違うやり方を模索することも多い。壁にぶつかれば納得のいくまで考えるし、そこで自分なりに決めたことはきちんと達成できるように、出来る範囲ではあるが最善を尽くす。
以前落とされた面接で一度、「具体的にどのようにマイペースなのか、教えて下さい」と聞かれたことを思い出した。わたしはその時、こう答えた。
「友達が言った些細なことに対して〈なんで?〉と聞いてしまいます。」

今日のこの不毛な老婆との会話を通して、その面接で何故落とされたのか、ようやくわかった。そして、わたしはきっと、いや決して、マイペースな人間ではない。マイペースという日本語を履き違えていたし、恐らく自分自身を見誤っていたと思う。

この後わたしはこの老婆の愚痴を、二時間以上にわたって聞き続けることになった。念のため言っておくと、わたしは、就職活動中の、未だに内々定を持っていない、大学生である。明日も面接を控えており、午後には少しの昼寝と企業研究をする予定であった。精神を蝕み、二時間以上拘束されたのは、昼食代の千円とはあまりに不釣り合いではないか。ただ宗教勧誘でなかったことのみが、不幸中の幸いであった。といってもこの事件を引き起こしたのは、寺に行ったことがそもそもの原因であり、それについて私はまだ仏様からの詳しい説明を受けていない。